セミリタイア

セミリタイア願望が限界になった時に陥りがちな思考

セミリタイアという考えかたを一度知ってしまうと、セミリタイアに取り憑かれてしまう。

仕事で嫌なことがあるたびに、「絶対にセミリタイアするんだ」という気持ちが一層と強くなる。
そして、いくらあったらセミリタイアできるのか、いつになったらセミリタイアできるのか、そんなことばかりを考えてしまう。

そして、その目標があまりにも遠いと、目標を下方修正して、自分でも届きそうな目標に設定をしてしまう。

こうしてセミリタイアした(してしまった)のが自分だ。

具体的な手続きを調べはじめたら末期症状

ひと月に最低いくらあれば生活できるか。
これくらいはセミリタイア志望の人であれば誰でも考えると思う。

ただ、この前提として健康保険料の試算を国民健康保険の非課税世帯の保険料で試算をしたり、年金の免除を前提で試算をしはじめたらまずい。

退職後、会社の健保に任意継続するか、それとも国保に切り替えるかを真剣に考えはじめたらもう末期症状。
実際の手続きまで調べはじめたらもう手遅れだ。

これは雇用保険の失業給付金についても同じことがいえる。

「週3でアルバイトすれば生きていける」と考えはじめる

アルバイトの時給を1,000円とすると、8時間働けば1日8,000円稼げる計算になる。

週3勤務だとするとひと月の合計勤務日数は12日。
12日×8,000円=96,000円とそこそこの金額になる。

「96,000円あればなんとか生活できるなあ」とか「週休4日ならなんとかやっていけそう」なんて考えはじめるとまずい。

完全に世間の感覚からズレはじめている。

「1日8時間も仕事に拘束されるなんて死んでいるのと同じだ」と考えはじめる

1日8時間仕事をすることで給料をもらっているのに、死んでいるのと同じだと思いはじめたらまずい。

だんだんと「どうせ今が死んでいるようなものなら、70歳で死んでもいいから、少しでも若いうちに自分の好きなように生きたい」と思いはじめるようになる。

そして、当初の目標を下方修正してでも、セミリタイアしたくなってくる。

ほとんど人が高齢になってからの自分の時間より、今の自分の時間のほうが価値があると考えると思う。
高齢になると身体機能が衰えたり、健康状態も悪くなるからだ。
この考えがセミリタイアを強く後押ししてしまう。

ひと月いくらで生活できるか。
週3でバイトすれば生きていけそう。
今の生活なんて死んでいるのと同じだ。
若いうちに自分の人生を生きたい。

セミリタイアに取り憑かれるとこのあたりの考えがぐるぐる、ぐるぐると回る。
仕事で嫌なことがあればあるほど、それを打ち消すようにセミリタイアのことを考えてしまう。

セミリタイアについて考え過ぎるのはよくない

自分がいっても説得力がないかもしれないが、セミリタイアについて考え過ぎるのはよくない。

セミリタイアについていつも考えているとセミリタイア願望に取り憑かれてしまう。
仕事が嫌いな人にとって、セミリタイアはそれくらい引力がある。

ツイッターでの「週休4日です」とか「365連休です」なんていうなんの意味もツイートも、仕事が嫌いな人からすると、インスタグラマーなんかよりもよほどキラキラして見える。

完全に目に毒だ。

ただ、どうやったらセミリタイアのことを考えずに済むか考えたが、まったく思い浮かばないんだよなあ。